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仕事始めと 絵になること [シナリオ作法]

先日、仕事始めだったんですが
それと同時に息子も保育園に再び通い始めました。
長らく休みだったので、行くのをグズるかなと思ったんですが
そんな事もなく、元気に登園できてホッとしました。
それでも、彼なりに我慢してて、ホントは寂しいのを
頑張って登園してくれてるんだろうな、と思います。
なので、帰宅したらなるべく沢山遊んであげようと父は思う訳です。

そんな思いは30分くらいで、くじけてしまいますけどね…
子供というのはネジ巻きたてなので運動量がハンパない。
それにつきあおうとすると、1時間もしたらヘトヘトですわ。
なので最近は、帰宅前に薬局でドリンク剤飲んでます。

さて、もうそろそろ、城戸賞ホームページにて「ハムラビ」が公開予定です。
一人でも多くの方に読んでもらいたいと思ってますが、
先日のキネマ旬報の選評について、もうひとつお話しを。

映像化の意識に欠けているという意見があったとの事ですが、
おそらく、台詞の多さを指しているんでしょう。
しかし、その指摘は作品の本質をまるで理解してない人の意見です。
死刑制度の是非について、観客へ判断材料を提示するためにも
必要な分量のセリフですので、たとえ「理屈に終始」と言われようが、
死刑廃止論者の理論武装と、死刑存置派の連続殺人犯との対決では
言葉で戦わないといけないんです。

そこら辺は、説明台詞ではなくトライとリアクションにしてますし、
「画変わり」にも配慮されてるので、作品化した時にも問題ありません。
後半の死刑制度についての台詞の応酬シーンも、
状況に緊迫感を与えてるので
台詞が多いと言えども、「絵になる」作りになってます。

脚本を読んだ時に、パッと見の台詞の多さだけが印象に残り
その背景の状況にまで気が回らないという事は、よくあります。
身もふたもない言い方をすれば、想像力が欠如してるか
センスがない人というのは、そうなりがちです。
字面しか判断できないから完成作品が想像できないんですね。
映画として一連の流れの中で、シーンを想像してみれば、
台詞が多くても成立するというのは、わかって頂けるはずです。

例え動きがないシーンでも、緊迫感があることで「絵になる」というのは
舟橋和郎「シナリオ作法四十八章」で教わりました。
「絵になる」映像の条件とは、
・動きがあること
・美しいこと、或いは詩的であること
・観客が見たいと望むものがあること
・緊迫感があること
の四つがあるそうです。

あと「画変わり」というのは
台詞のやりとりが続くなど、動きが少ない時、
見てる人が退屈しないように、場所を変える事を言います。

例えばインタビューシーンがあったなら、後半の受け答えを
別の場所、別のインタビュアーにするなどしてシーンを分けます。
すると、目先が変わって、退屈しないという訳です。

動きがあったとしても、長く続くと飽きてしまいますので
やはり「画変わり」した方がいいようです。
戦闘シーンばかり続いてもダレるので、
戦う場所を変えていくだとか
時々、別の場所での出来事を挟んだ方が、戦闘シーンも引き立ちます。

さて、長々と書いてしまいましたが、
今回書いたように、退屈しない脚本になってるかどうか
城戸賞ホームページで公開されましたら確認してみてください。
―(追記)―
 公開期間は終わりましたが
 アマゾンキンドルにて、販売しておりますので
 ご興味のある方は、こちらから ご購入ください。よろしくお願い致します。 
 キンドルアンリミテッドの方なら無料で読むことができますので、是非どうぞ。

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