SSブログ

対応力と ピクサー [シナリオ作法]

前回、対応力の事を書きました。

脚本家として脚本を書く際には、
様々な要求に対応していかなくてはいけません。

それは原作サイドからの要求だったり、スポンサーサイドだったり
はたまた演者さんサイドだったりと色々です。
各方面から要求があり、勿論、プロデューサーや監督からも
あれこれと言われる訳です。

そういうアレコレの要求を簡単に聞いちゃうから
ダメな作品ができるんだよ!
と、言う方もいらっしゃいます。

んが。
しかし、そういう要求を(ある程度)聞いた上で、
面白く仕上げるのが、作家の腕なんだと思ってます。
… 。
私の書いたものがそうなってるかどうかは
皆さんの判断に任せるとしてですね…、
私の心には棚があるので、ちょっと、一旦、
私の力量云々についてはその棚に置いてですね…

例えば、文豪ドストエフスキーは、読者受けを狙って
主人公の散歩コースを当初の設定から変えたりしたそうです。
その他にも、出版社の意向を酌み、あれこれ反映させたとか。
しかし、作品はきちんと面白いものになり
100年経っても、その芸術性は色あせる事はありません。

それにしたって、何でもホイホイ言う事聞いてたら、
やっぱり、ろくでもない脚本になるんじゃないの?

確かに。

それに対する答えは、
脚本家ひとりひとり、違うと思います。

そのひとつの答えが、
笠原和夫さんの「映画はやくざなり」に著述されております。


物語の根幹に関わる事でない限りは、妥協しても構わない。
しかし、作家としての大事なものを失ってはいけない
てな事が書いてあるような、ないような。
どうぞ皆さんで確認してみてください。

ちなみに私は、物語の根幹に関わらなければ
色んな要求を受けとめる派です。
作品が面白くなるなら、幾らでも直しには応じます。
面白いのが、正義です。

しかし、作家としての大切なものを曲げた事はないと思います。
どうしてもこりゃダメだ、という企画の時、
きちんと理由を説明して、撤退した事があります。

笠原和夫さんの本にも、同じ様な事が書いてあったので、
ああ、あれで良かったんだな。と思いました。
笠原さんの場合、ケンカを吹っかけて撤退を余儀なくさせるそうです。
凄いです。

知り合いのプロデューサーに、
言われただけの事をこなす人は「ライター」としか呼びません、
という方がいます。
言われた事をそのままシナリオにしてくれる人は便利だけれど、
そういう人はライターと呼び、「作家」「脚本家」とは呼ばないそうです。

なので、私は初めて名刺を作る時、肩書きを「脚本家」にしました。
そのプロデューサーが、
私の事を「脚本家」「作家」と呼ぶ日が来るように、
日々、奮闘しております。

で、企画書作りや、脚本執筆の傍ら、
合間をみてはプロット研究をしてるんですが
次、研究してみたいのは、これ、
グリーンメン.jpg

かーみーさーまー
トイストーリーです。
この写真は、息子と粘土遊びしてる時に作ったもの。

ピクサー作品の脚本はよくできているのが多いですよね。
勉強になります。


nice!(45)  トラックバック(0) 

nice! 45

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました